吹雪手帖その86「2010年個展への道(7)」

吹雪手帖その86
「2010年個展への道(7)」
吹雪大樹写真展「豆腐とビール」の搬入は5月2日・・・
そう思うとまだまだ余裕がありそうですが
あと7週間とかって言われたら焦りますよね。
ええ、焦ってますとも(笑)
例年なら2月の終わりか3月の初め頃には撮影が終わってます。
しかし今回はまだ撮影が続いています(汗)
昨年の12月23日に撮影したあたりからが
自分の中で個展に向けてのスタートになって、
それ以降にホルガで撮影したフィルムは現在43本・・・
フィルムのストックはあと20本ほどあるので
これを撮り切ったら終わりにするか、まだやるのか、
あるいはそろそろ切り上げるのか・・・
けれど、僕の制作スタイルは「日常で撮る」ことですので、
はっきり言うと、いつになったらやめるとか、そういうことではなくて、
僕が生きている限りは常に撮り続けなければならないのです。
僕も含めて、「日常写真」に取り組んでいる人は
とても多いのではないかと思います。
むしろ、今や最もポピュラーなテーマではないでしょうか。
しかし「日常写真」という言葉そのままの積み重ねでは
「何を撮ればいいのか判らない」という迷路にやがて入り込み、
道を見失って写真の面白さを忘れてしまうことになるでしょう。
日常の積み重ねで撮った写真が、
人の心に残り、そして心を動かすには、
作者が、観る人に伝えたい想いや考えを
その写真の中にしっかりと含ませていること・・・
あるいは並べた写真全体でそれを物語ること・・・
とにかく気持ちを込めていることが大事だと思います。
(そこに込めた意味のすべてが言語に置き換えられなくてもいいから)
それがちゃんと備わってさえいれば、
国や文化や言語の違いを超えて、
人々に共感される作品になるはずです。
・・・大それたハナシになってしまいました(笑)
撮っている物は日常の風景ですが、
伝えたいことはその先にある・・・
まずはそこから考え方を変えていきましょう。
話しは変わりますが、美術館とかに行きますと、
100年も200年も前の絵画や陶器が展示されていて、
中には誰が何のために、どんな想いで作ったのか、
それすら不明になってしまった作品も多くあります。
しかし、ワケが判らないからといって捨てられもせず、
人間の一生の何倍もの時間、つまり、何世代もの人々が、
その作品を残すために受け継いでいって、いまに存在しているのです。
作者が生きている間は自身の言葉を使って
詳しい事を他人に伝えることができますが、
作者が死に、時代が変わり、観る人々の価値観も変わって、
そこに込めた本当の意味が失われてしまったとしても、
後世の人がそこに新しい魅力を見いだし、
再び輝き続ける作品は素晴らしいと思います。
写真は現在のスタイルが発明されてまだ100年少々。
印画紙の保存性にはいろいろな難しい問題があり、
特にカラー写真が美しさを保てるのはさほど長い時間ではなく、
語り継がれる芸術作品になりえるかどうか、といったところです。
しかし、何百年も前の絵画が、
何世代もの人の手を経て残されて行くように、
デジタルデータ化された写真が、その時代に合わせた記録メディアに
バックアップされ続けていれば、品質劣化のないまま
後世に残すことが可能だと思うのです。
昨日、僕がフィルムスキャンしたホルガの写真が
何十年、何百年後かの展覧会で、新しくプリントされて飾られる・・・
それは僕の家のベランダから見える風景だったり、
朝日が射し込むレースのカーテンの影だったり・・・
それが何を意味するのか、その時代の人にはもはや不明でも、
何かの想いを込めて撮った写真であることさえが伝われば、
僕という存在がすでに死滅していても、僕は生き続けていることになる。
そういう作品を僕はつくっていきたいのです。
僕自身の日常の中から、そう感じてもらえる物を
ずっと探し出し続けていたいのです。
さっきよりもさらに大それたハナシになってすみません(笑)
が、そういうことなんだと思うんです。

20100318.jpg
1枚1枚、今日も明日もあさっても、大切に撮り続けたいですね。