慌ただしい日々の暮らしの中で生活していると、
ふと自分自身の存在が薄れて埋もれゆく感覚に襲われることがある。
他者から見られている私は確かな存在なのか。
また、私が見ている他者の存在は確かなモノなのか。
白と黒にわけると、隠れてしまうグレーの存在。
全てが明確でなく、曖昧なものがあるからこそ、
そのものを目を凝らして見ようとする。そうする行為そのものが、
隠れるグレーの存在を意識することになるのではないだろうか。
時間経過が写し出した写真の中には、
私たちの表情やしぐさ、身体の動きや形、
そして私という存在が確実にいる。
私たち自身が撮影対象となり、私たち自身から発せられるふとした仕草や表情をバルブ(長時間露光)撮影という技法を用いて写真に焼き付けています。
長時間カメラの前に立つ自分。しかし、その写真に写った自分はハッキリと輪郭が表れずに、ぼんやりとしており、不確かな存在として写っています。しかしそれはどちらも私であり、私という存在を示すものなのです。
その矛盾こそ、私という存在を際立たせているのです。空間に溶け込みそうな曖昧な私たちと、私たちを包み込んだ周りの空間の匂いを感じ取って欲しいと思います。
A2サイズのデジタルおよび銀塩プリント10数枚を展示予定。
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